グランドデザインアーキテクトとしての使命【ASCEND Stories宮津研士郎編】
アセンドで働く人たちの成長の軌跡を辿る「ASCEND Stories」。最終回に当たる今回はプロダクトエンジニアの宮津研士郎です。
データモデルの基盤刷新という一大プロジェクトを1年に渡ってリードし、事業の躍進に貢献した宮津。難易度の高い挑戦をやり切れた強さの秘密やグランドデザインアーキテクトとしての使命について、代表の日下が聞きました。
炎上は「祭り」。逆境を楽しむ強さを学ぶ
───これまでの歩みや自己紹介をお願いします。
北海道大学の情報工学科で、大学・大学院を通して機械学習やプログラミングを学び、CTOの丹羽と同期で日鉄ソリューションズに入社しました。初任配属から、そこそこの炎上案件に放り込まれ、初週から休日深夜残業をしたのをよく覚えています。初めはテスターでもやってて、といった感じだったのですが、すぐに、「じゃ、テスト設計して」と言われ、そこからまたすぐに、「じゃあ、性能チューニングして」と言われ、「え、やったことないけど……?」と必死にキャッチアップしていく日々でした。
初めての上司は、いわゆる炎上プロジェクトの”火消し屋”で、高難度なプロジェクトや、発生したシステム障害を「祭り」と捉え、逆境を楽しむことを教えてくれました。そんな上司から、「お前は目の前にある課題を深く追い、解く力がすごい」と評価してもらったこともあり、その上司と共に多くの炎上を解消して回った課題解決力が自身の核となっています。業界としては、小売・流通を担当し、大手企業の先進的な部隊に入って、巨大なECシステムやデータ基盤の構築を担当し、お客さんに寄り添いながら二人三脚で開発する経験を積んできました。
ただ、コロナ禍で働き方がフルリモートになり、次第に生活が退廃していきました。その頃は、部屋の電球が切れても直さず、風呂がカビても放置し、そのうちにベットの足が壊れたんですが、もう傾いたベットのままで寝ていて。端的に言って、足の踏み場のないゴミ屋敷に住む廃人になっていました(苦笑)。そんな頃、CTOの丹羽から誘われて、アセンドで業務委託として副業をするようになりました。社員としてのオファーは、副業を始めて2ヶ月くらい経った頃、金曜に誘われて、土日に考え、月曜には快諾しました。
───不安や迷いはなかったのでしょうか?
なかったですね。新卒同期でもある丹羽のことは、昔から仕事人として尊敬していました。新入社員の頃から、仕事に対する思想、姿勢が段違いでした。彼は、とにかく、「アウトカム・ファースト」な人。エンジニアが陥りがちな技術志向ではなく、プロダクト志向で、社会的なインパクト目線で視座を高く持っていました。
会社としても、B Dashのピッチコンテストで準優勝をした頃で、停滞している自分とは対照的に、着々と前に進んでいる印象を受けていました。またその頃、経営陣がアルファ版プロダクトを捨てる決意をしていたこともあり、失敗を認め必要な投資判断ができる経営陣の強さをとても頼もしく見ていました。この人達とやるなら、「分の良い賭け」と思えたことが、踏み切れた理由です。
データモデルの汎用性と拡張性を探る
──業務内容的には、どんなところがチャレンジングだと感じていますか?
システムベンダーであるSIerは、一社のみに向き合っていて、今お客さんが何をやっているかさえわかれば、そこに特化して作っていけます。CPOの森居の記事でも話題に上がりましたが、SaaSが難しいのは、一社のサクセスを捉えつつ、その先の何十・何百社を見据えた「標準化」も、同時に模索しなければならない点です。既に取引のあるお客さん(=運送事業者)の多岐にわたる要望を踏まえながら、さらに今後、「こんなお客さんもいるんじゃないかと予見しながら」開発を進める必要があり、仕事の思考量や複雑性がとても高いと感じます。
次に、データ構造の標準化に向けて、いかに拡張していくかという挑戦です。一口に運送業と言っても、荷物の種類や運び方、運賃の取り方等々、現実は想像以上に複雑です。このような状況の中でも暫定的なデータモデルの仮説を持ちながら進めていかなくてはなりません。後に暫定的な仮説と異なるお客さんに遭遇した時点で、認知を改め、データの論理的な再定義を行い、次の形に移し変えていく手術が必要になる。
エンジニアのなかには、そこに拒否反応を示すエンジニアもいます。「それはうちのプロダクトの対応範囲じゃない」と、はねのけることは簡単です。でもそれだと、運送業界で広く使ってもらえるプロダクトにはならず、届けたい相手に届くものになりません。このコストが掛かり続けていくのは、苦しいところですが、それを諦めずにやり続けた先に、最終的に「綺麗なデータの形」に行きつけると思っています。この粘着質な付き合いをやり切っていくことが難しく、大変な分、そこにしかない価値があると信じています。
データ基盤刷新プロジェクトの失敗と成功
───SaaSにおける汎用性と拡張性をデータモデルの軸から大変興味深く聞かせてもらいました。この問題の集大成が2023年秋に完了したデータモデルの再構築プロジェクトだと理解していますが、こちらの内容についても教えてください。
社内的には「案件構造見直し」、「『案件』と『運行』の分離」と呼んでいたのですが、以前のシステムでは、運送業が抱える複雑なオペレーションの現実を、十分に受け止めきれていない状況にありました。たとえば、10トンの鉄を、目的地までどう運ぶか、それは何台かの車で分割して同時に運ぶケースもあれば、1台の車だけで往復して運ぶケースもあるわけですね。そこには、車両数だけではなく、その都度車種が何か、あるいは同乗者が誰か、どんなルートでどこに立ち寄るのかという、様々な条件が関与し、附帯情報がエンドレスになっていく。「複雑な運行の現実をプロダクトが受け止めるためのデータ基盤を刷新する」というのが、2023年に取り組んだことの総括になります。
最初は、私一人で3ヶ月かけて潜りましたが、論点の多さに溺れて撃沈。2度目はCTOと私の2名体制で再挑戦したものの、同じように3ヶ月かけて撃沈。最後にもう一度二人で3ヶ月粘り直し、三度目の正直でついに出口が見えたという道のりでした。その間は、向き合う仕事の難しさに、成果の見えやすい機能開発をしているメンバーが羨ましくもありましたが、長いトンネルを抜けた達成感はひとしおです。この基盤が整えられたことで、多くの運行形態を取り扱えるプロダクトになり、急激なARRの成長に直接貢献できたものと自負しています。
───名だたるスタートアップでも、後になって、数億円かけてデータ基盤を再構築するケースも耳にします。アーリーフェーズでこの意思決定ができた理由や、宮津個人がやり切れた理由について教えてください。
物流のデータの価値を信じ、それを経営陣3名全員が違う角度で言い続けてきたことが大きいと思います。我々はSaaSをつくるのではなく、物流業界の構造変換に挑戦する会社であり、そのために必要な投資は臆さないというスタンスが明確です。入社後も折に触れて、自分の仕事はデータを守っていく役割だと伝え続けてもらっていたことも大きいと思います。
そういうメッセージングがベースにありつつ、会社として、物流のビッグデータに先行的に接する機会がありました。コンサルティング側で受託した国土交通省の案件で、マッチングプラットフォームのデータを大量に分析する仕事です。荷主と運送会社で、データの見え方というのはこんなに違うのかというのを手触りとして感じられ、この統一に挑んでると理解できたことは、そこに自分を投資する必要性を信じる材料になりました。
「グランドデザインアーキテクト」としての使命
───アセンドの使命は「物流業界の価値最大化」。宮津に入社時にお願いした役割は「グランドデザインアーキテクト」として"日本の"物流データ基盤を創ってほしいということでした。改めて、アセンドはどのような物流データ基盤を目指していくと考えていますか。
中期的には、ここからさらに、荷主や協力会社と接合して、より立体的なデータモデルにしていくことに挑戦していきます。案件と運行の分離を達成した現在の複合的なデータモデルになったことにより、見える世界がすごく増えました。そこからさらに進化させていくことが、まず中期的な目標です。
長期的には、データモデルだけではなく、アプリやネットワークが連動して動いていく、その基盤づくりに挑みたいと思います。日々、物理で24時間365日動いている大量の物流をしっかり管理・整合し、そのトラフィックを下支えできる基盤づくりもまた、骨太なチャレンジです。
そして物流には、「まだデータ化されてないデータ」が眠っており、今あるデータをどう取得するかだけでなく、今はまだ無きデータを考慮する想像力も必要です。それをどう使うのか、どう接続するのか、今目に見えていないデータマネジメントの世界。それらを考慮したグランドデザインを行うアーキテクトというのは、私個人にとっても、世の中にとっても、価値がある挑戦だと思いますし、アセンドこそが、この大きなミッションに挑んでいくべきだと考えています。
共に心を燃やす仲間を募集しています!
───最後に、これからアセンドに入社を検討頂く方に向けて一言お願いします!
私がアセンドに入った当初から、代表の日下に「人生を賭けた仕事をするべきだ」と言われ続けてきました。最初こそ「日本の物流データ基盤を創る」という目標は遥か遠く、肉体感を持てませんでした。
しかし、言い続け、やり続けることで、今では「自分しかやる人間はいない。俺の人生を賭けた仕事だ」と心から思っています。心を燃やして仕事がしたい方、一緒に楽しく、人生を賭けた仕事をしていきしましょう!